服部研究室立命館大学 総合心理学部/大学院人間科学研究科

推論に関する対称性、対称性に関する推論服部 雅史(はっとり まさし)

りんご

 最近、ときどき「真逆(まぎゃく)」という言葉を耳にする。正反対という意味の新語だが、私には少々耳障りだ。ついでに、「逆に言えば」というのも気になる表現である。「新語が耳障りというのは、逆に言えば、古い言葉しか使えないということだ」といった調子である。何が逆なのか、よくわからないことも多い。ともかく、ひとは「逆」が好きである。

 逆が好きなのは人間だけのようだ。逆の推論をすること、すなわち、推論における「対称性」の成立は、人間以外の動物においては極めて困難であることが知られている。それは、行動分析学者シドマンらが確立した方法を用いて調べられてきた。その手続きは複雑であるが、単純化するとこうなる。リンゴが「リンゴ」と呼ばれることを学んだ後、「リンゴ」と言われてリンゴを選べるかテストするというものだ。

 当たり前すぎて、どこがテストなのかわからないかもしれない。まず、リンゴが「リンゴ」と呼ばれることを学ぶのは、「実物→ラベル」という方向の対応付けの学習である。それに対して、「リンゴ」と聞いてリンゴを選択するのは、「ラベル→実物」という逆方向の対応付けができていることを示すのである。人間の場合、一方の対応付けを学習すれば逆向きを学習しなくてもよいが、他の動物にはこれができない。

 チンパンジーでも対称性が成立しないという事実は、二つの意味で驚きである。一つは、こんな当たり前のことが、われわれと最も近縁の霊長類にできないという素朴な驚きである。対称性の獲得が人間に特有なことと、人間だけが複雑な言語を操ることの間に、どれほど深い関係があるのかはわからないが、対称性が言語と密接に関係していることは明らかである。対象・ラベル間の対称性推論能力は、効率的な語意獲得のために必須である。また、二つのものごとの間の関係の対称性は、条件文や因果文の解釈や生成と切り離すことはできない。もちろん、象徴機能を含む抽象化の能力や、相手の発話や行為を模倣する能力も前提となるが、同様の能力を前提とする推移性は他の動物でも獲得可能であることを考えると、対称性の特異性は際立っている。対称性推論、抽象化能力、言語の三者は、相互依存的に複雑に関係していることは間違いない。

 もう一つの驚きは、人間だけが論理的誤謬を犯すということである。対称性推論は論理的に偽りである。たとえば、人間は動物であるが、動物は人間に限らない。「逆は真ならず」である。最も知的なはずの人間だけが、このような非論理的な推論をしてしまうとは、一体どういうことであろうか。これは、対称性推論が人間の創造性と深く関係していると考えるとつじつまが合う。演繹に発見はない。すなわち、論理的な結論は、本質的には前提の中に既に含まれていると言える。それに対して、対称性推論は、論理的には誤っているが発見的特性を秘めている。

 興味深いことに、統合失調症患者の推論に過度の対称性が認められることがある。この知見は、対称性と創造性の関係を考えるとき示唆的である。統合失調症には強い遺伝的基盤があることが知られている。しかも、世界中で普遍的に見られ、生涯有病率は人種・文化を問わずほぼ同じ(約1%)である。このことから、この病気は人類分化の極めて初期に現れ、その遺伝特性には繁殖的適応度の点で何らかの利点があると考えるのが自然である。その利点については諸説あるが、創造性、言語、社会的知性などが注目されている。

 創造性、言語、社会的知性、いずれの背景にも対称性が見え隠れしている。人類の知性の発生とそれに伴う文化的環境の急激な変化のシナリオは今のところまだ謎であるが、知性と言語の系統発生の前提条件に対称性が関係しており、その生物学的基盤に統合失調症リスク遺伝子の一部が関与していると考えることは不可能ではない。このような考えに関する証拠はまだ十分ではないが、もはや単なる空想ではない。

 証拠から仮説を構成するという科学的営みには、大きな知的興奮が伴う。これこそ、科学における対称性推論である。哲学者パースは、このような発見的推論をアブダクションと呼んだ。発見的・創造的推論は、支離滅裂な思考や妄想から空想を経て演繹に向かう推論タイプ連続体上のどこかに位置づけることができる。創造性は絶妙な調整の賜物と言える。また科学は、事実から仮説を導く逆方向の推論(アブダクション)と、仮説から事実を予測する順方向の推論(演繹)との共同作業である。したがって、両者の使い分けのバランスが重要である。われわれの認知活動がこのような絶妙な均衡の上で成立していることを思い、改めて感嘆する。

月刊『言語』 2008年3月号 巻頭エッセイ

参考文献

服部雅史・山崎由美子(編)『認知科学』 第15巻3号(2008年9月発行) 特集:「対称性と双方向性の認知科学」

服部雅史・山崎由美子(編)『認知科学』 第16巻1号(2009年3月発行)誌上討論:「対称性認知科学の論点と広がり」